こんな複雑で難解な趣味みたいな映画を2億ドルという途方もない予算かけて作ってるのクレイジーだなとつくづく思った。
TENETは「時間の逆行」というごくごく小さいミクロの量子力学の不思議な世界を、もっと大きい我々の暮らすマクロの世界に当てはめてみたらどうなるかというSF映画だ。
この量子力学の世界が非直感的であって難解にならざるえないのだ。2重の状態であるとか、時間が逆行してるようにみえるとか、日常にそんなものはないので喩えようがなくて、「考えるな、感じろ」として割り切るしかない。
やや物語の筋の稚拙さは感じなくないものの、難解な体験を通して考えてみると、また違った風景が見えるという意味で面白い映画である。何もかもが逆転するのだ。私もこれを書いてて胃がひっくり返りそうだった。
テネットの解釈
ゲームとして捉える
まずはゲーム的に捉えると比較的に分かりやすいのではないかと思った。
主人公(以下は主役を意味するProtagonist=プロタゴとする)に名前がないのはRPGゲームの任意に名前をつけるようだし、出来事は予めプログラムによって決定されていて、任意のタイミングで行えたり、いくつかの選択肢はあっても決定された以上のことは起きない。しかし、遊ぶ以上は進めないという選択肢はない。
この映画の最大の特徴は時間の逆行の扱いである。よくあるタイムトラベルやタイムループものは「セーブポイントに戻る」という感じなのに対して、こっちのほうは「逆」属性を付与するエンチャントに近い。あの回転ドアはエンチャントの切り替え装置なのだ。
元に戻る(return)ではなく反転(invert)のほうの性質である。全体に適用される物理法則はそのままで一部の+/-が逆転する。だから炎を出すと凍る。
属性が反転していて同じ存在の+と-同士が接触すると対消滅を起こす。これは電子(-)と反物質の陽電子(+)と同じ現象を表現したものだ。
アルゴリズムは9つ揃ったら全部を反転させる伝説のアイテムといったところ。
ゲームなのでルールがある。
以下の3つのルールさえ把握してれば、タイムラインの流れは分かりやすい。
- 回転ドアに入ると逆行/順行して入り直すまでそのまま
- 順行=赤、逆行=青で色分けされている
- 逆行中は音楽やエフェクトも逆行してる
順行と逆行が入り乱れるカーチェイスと挟み撃ち作戦の映像は観客を混乱させるのを監督が楽しんでるフシがある。これは別の解説が優れているので割愛する。
決定論
TENETの主要テーマのひとつは「時間の逆行できるなら過去は改変可能なのか?」という問いだ。
過去の改変が可能か?については有名な祖父のパラドックス(親殺しのパラドックス)がある。劇中でも出てくる。「過去に戻って祖父を殺した場合に、親が生まれないので本人が生まれないことになる。しかし、存在しない者が祖父を殺すことができない」という矛盾である。
未来人が干渉してアルゴリズムを起動し、すべての時間が逆行したなら、現代の人や全生物が消滅することになる。未来人は現代人の子孫なのだから自滅になってしまう。そして、主人公たちは現に存在しているのだから、未来人ではなく現代人の勝利ではないか?という疑問が湧いてくる。
キャット救出のために空港に向かう途中の描写でプロタゴがそんな話をしていた。
ニールは「楽観的に言えば、そうだ」と答える。しかし悲観的にはそうでもないらしい。ここで「エヴェレットの多世界解釈」が出てくる。世界が分岐するということ。平たく言えば平行世界、パラレルワールドになる。
「パラレルワールドでは、意識と多元宇宙の関係は知り得ない」とニールは言う。一方の世界から知覚や観測できないので、平行世界があるのかどうかが検証しようがない。しかし、可能性も否定できなくもない。未来人はこれに賭けているようだ。
「未来がダメなのでぜんぶ過去に逆行します」が未来人の動機で、そうすると祖父のパラドックスが発生する。「いやでも、なんとか回避できるんではないだろうか、知らんけど」みたいな雑な希望的観測で動いてるようにみえる。祖父のパラドックス回避や過去は改変可能なのかは、登場人物の誰もが分かっていないのである。
しかし、一番真相に近いニールは言う。
「これまで起こったことは変えられない」<What’s happened, happened.>(筆者訳)
そのあと以下に続く。
「これは世界の理を運命と表したもの。だからといって何もしない理由にはならない。」<Which is an expression of fate in the mechanics of the world. It’s not an excuse to do nothing.>(筆者訳)
この何もしない理由にはならないことが重要で「人間の意志とは無関係に予め起こる出来事が決まっている」という運命論ではないことを示唆している。そうではないと私達の自由意志はないことになってしまう。
運命論ではなく決定論である。決定論とは「出来事はその原因によってのみ条件付けられる」こと。しかし、逆行が可能なら因果が逆になっても成立するのではないか?出来事は変わらないが、原因はまだ確定していない。
まだまだなんのことだかわからないので、さらに検討するのには量子力学の観測問題にふれる必要がある。
観測問題
*物理学の素養に乏しいので理解が怪しいかも
量子というミクロの世界ではしばしば反直感的なことが起こる。
代表的な例が2重スリット実験で、これは説明するより動画でみたほうが分かりやすい。
粒子は波でもあり粒でもあるという重なりあった状態にある。しかし、量子の世界では観測しないときと観測したときで状態が変わってしまう。
性質が同時にある状態はマクロ的な視点、普段の身の回りの生活ではまず見られない。2重スリット実験のような状態に猫と毒ガス装置を組み込んで、死んだ状態と生きた状態の重なり合った猫ができるのか?あえりない。という思考実験が「シュレディンガーの猫」である。
とはいえ、実験結果がそうなる。数式も完成している。あとはそれをどう解釈するのかになる。
これを「エヴェレットの多世界解釈」だと観測した時点で世界が分岐する。波の状態の世界と粒の状態の世界がある。「コペンハーゲン解釈」だと観測した時点でどちらかに結果が収縮する。どちらかは確率による。
現代的な解釈だと量子状態(重なった状態)を実存とは見なさないで、観測者の認識に依存する。実在論としてじゃなく認識論として捉える。実在論とは観測や実験で確かめられないことでも正しく知ることができるとする立場。多世界解釈はこちら。非実在論とは観測しようのないものは知ることができないとする立場。
テネットではこれを拡大解釈して、認識した時点で「起こったこと」が確定する世界になっている。
起こったことが重なった状態にある。つまりまだ確定していない。認識したときにどちらかに結果が収縮するということだ。
認識
「起こったことは変えられない」のはすでに知ってしまったことは確定で起こるということ。これを逆説的に示したのが「無知は武器になる」。認識していない時点ではまだ未来も過去も確定していない。
オペラハウスのテロとスタルスク12での爆発は同時に起こっていて、オープニング時点で結果が確定してる。しかし、原因や過程はまだ決まっていない。
空港に逆行で向かうシーンでプロタゴの手に急に傷が現れるのも、認識したから事象が確定される。
逆行銃の性質を考えてみる。引き金を引くと弾が戻ってくるということは、どこかのタイミングで弾が発砲先にないといけない。認識したタイミングですでに起こったこととして確定するので、弾痕があったと知覚した時点で弾はそこにある。これが「考えるな感じろ」と言っていたこと。観測した時点で結果が収縮する。
映画内で描かれている「認識したことで確定する」とは一体何なのか?それにはエントロピーを考える必要がある。
エントロピー
序盤の女性科学者が言うには、エントロピーの減少で逆行しているように見えるそうだ。
エントロピーとは乱雑さの度合いで、エントロピー増大則という熱力学第二法則がある。
コーヒーに牛乳を注いだら混ざりあうように、放っておいたら乱雑になっていく。すべてのものは何もしないとエントロピーが増大していく。
とすると、我々の世界はひたすら崩壊に向かって進んでるということになるのか?
エントロピー増大則は外部とエネルギーのやり取りがない閉鎖系が前提なので、外部からエネルギーを取り込むことができれば秩序は維持できる。生物がそうだ。プランクトンや植物が太陽エネルギーを得て、食物連鎖を通して生物はその存在を維持している。
もうひとつエントロピー増大に抗うのは情報の存在だ。情報は進化の過程でゲノムの中に蓄積され、ニューラルネットワークは情報の保存以外にも知識を獲得可能にする。ヒトは言語と文化を育み、知識を蓄積してきた。その蓄積した知識の最たるものが科学である。科学によってより効率的なエネルギーの獲得ができ、寿命が伸び、より安定的な社会を築いてきた。
ちょっと脱線した。エントロピーを減少させるということは乱雑でなくなるということ。つまり、これは確定させるというふうに捉えられないだろうか。エントロピーの減少=乱雑でなくなる=逆行ならば、時間を戻して過去を改変しているのではなく、乱雑なもの=あやふやなものを認識を通して確定させていくことをやっているのではないか。
そうなると、情報が極めて重要な位置づけになる。認識した時点で確定する、認識していない時点で確定していないので、事件が起きる前の情報だけ記録として残しておけば、その地点まで逆行して介入すれば事件は防げる。それで最後にキャット親子を暗殺しようとしたプリヤを殺害する。無知は武器になるし、知ることも武器になる。
主役
プロタゴは最後に「俺が黒幕で、主役だ」と言う。
映画の終わりが彼の物語の始まりなのだ。TENETを組織しニールをリクルートし、あれこれお膳立てする。映画一本作れそうなそれらの一切を描かずに終わる。
物語そのものが逆行している。この転回こそ肝となる。
主役なのは名無しの主人公の分身たる観客も同じなのである。映画で起こったことは決まっている。観測者である観客が断片な物語を組み立て、想像し、解釈することこそ、本編なのだ。
映画は決定論的な世界であったが、すべてが決まってるわけではなかった。翻って我々の世界はどうか? たしかに起こったこと(過去)は変えられない。決定論的ではないが人間の自由意志が限定的なことも研究の積み重ねで分かってきている。
しかし、しかしだ。制約が強いから、介入余地が狭いからこそ、ヒトの持つ認識、情報、そしてTENET=信念が逆説的に重要になる。これはヒューマニズムの肯定なのだ。宇宙にとって取るに足らない小さきヒトの存在が、エントロピーの増大則に抗い、情報を蓄積し、認識によって世界を確定し、拡張していく。
我々こそ主役なのである。
おまけ:ニール=マックス説
幾度となくプロタゴを救ってきたニールとプロタゴの友情がこの映画の解釈が楽しい部分である。
ニールとはなんだったのか。ニール=キャットの息子マックスだとほのめかす描写。しかし、確定させる描写は一切ないので作中では分からない。私はニール=マックスな確率が高いと解釈している。
ニール=マックスをほのめかす描写
- マックスとニールの外見が一致する。
- ニールがイギリス英語を話している。マックスがしゃべるシーンはないが母キャットがイギリス貴族で、学校もイギリスなのでおそらくイギリス英語を話す。
- 初登場時に自分はウォッカ、プロタゴにはコーラを注文。旧ソ連圏の飲み物を愛飲してる様子。
- カーチェイスシーンで話者の少ないエストニア語を理解している。セイターが旧ソ連圏のエストニアのタリン中心で暗躍しているエストニア出身者ということ。セイターが父なら幼少期にエストニア語を習得していてもおかしくない。ただ過去に起こったことは確定しているので、それに向けて勉強していた可能性もある。
- 役者の年齢からマックスが10歳くらい、ニールが30歳くらいと仮定して、ニールが物理学の修士号取得後(イギリスだと3+1年なので大体22歳)に逆行した場合は年齢的には一致する。
名前のMaximilienの回分がniel説と、ニールのバックパックに下げているリング状のストラップのベトナム土産説はどちらも描写がないので眉唾に思える。
もうひとつ、難しいのがセリフの解釈。最後にプロタゴが黒幕であることをバラすシーン。
Protago:You never told me who recruited you, Neil.
Neil:You did! But only not you thought.
You have a future in the past. Years ago for me. Years from now for you.
最後の3文を直訳すると「あなたには未来がある、過去にね。僕にとっては何年も前のこと。あなたにとっては何年か後。」主人公が逆行して、ニールをリクルートして準備してきたことになる。
ただこれ定冠詞のa,theの関係から、You have a future / in the past.と読めなくもない。You have futureはプロタゴの不確定の未来、in the pastはニールから見た確定の過去。「あなたには未来がある、(私にとって確定の)過去に」これだとニールは未来から来てもおかしくない。うろ覚えでは「未来は君が握っている」という字幕だったので字幕はこっちの解釈に近いと思う。
ニールがマックスかどうかはどちらにせよ、ニールは死亡が確定してるので、それを知って送り出す未来のプロタゴの苦悩たるや。
ニールは自分が死亡することを伝えられていたのかは不明。以下のセリフを読む限りでは、死ぬのは知っていたけど、どの時点かは知らされてないというのがしっくりくる。
僕にとって、ここで美しい友情の終わりのようだ。<For me, I think it’s an end of a beautiful friendship. >
いつかの時点で死ぬことが分かってたとすると、全然関係ない男がここまで協力するかという疑問がある。ニールがマックスのほうがやっぱり物語として収まりは良い気がする。母ともども命の恩人なわけだから。