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FGO 1.5部4章 『異端なるセイレム』ネタバレ感想・考察

FGO1.5部4章セイレム

FGO1.5部4章「異端なるセイレム」(2017年) 配信当時、ふせったーに書いた感想・考察にちょっと加筆したもの。

現在開催中の「アイアイエーの春風 魔女と愉快な仲間と新しい冒険」はキルケー主役で関わりがありそうなので再掲。ついに冒険に出るときが来た!

以下ネタバレです。

 

感想と考察

基本的な物語のパターンは「行って帰る」つまり、冒険だ。

劇中劇の『シバの女王』も『西遊記』も、『三匹の子豚』は強制的ではあるものの移動が伴う。FGOの話もそう。

対してアビーは実在の人物で、アビーが出てくるのはセイレムの魔女裁判でしかないので冒険をするわけでもないし、物語でもない。

ここがポイントで、魔女裁判から脱却して冒険に出ることが彼女の願いなのに、顕現するには魔女裁判から逃れることができない。そこを魔神柱にそそのかれて「セイレムから出られないなら世界がセイレムになればいいじゃない」に発展していく。

これまでの人理焼却の目論見は旧約聖書の黙示録のことだと思う。英霊剣豪”7″番勝負なのも聖杯戦争が基本”7″基による争いも、7章構成なのも黙示録を意図してるはず。(黙示録は7つの封印、7つのラッパ、7つの鉢と、とにかく7が出てくる。)

これらは旧約聖書の舞台・ルールに則るもので、これに則っては無理と判断した魔神柱ラウムはルールの外側の虚構の神話に求めることにした。クトゥルフだ。

ただし、召喚に至るまでのその過程は、かつてなくキリスト教の黙示録だった。7つの紐の結び目(=ハングマンズノット=絞首刑のための結び方で結び目が7つになる)、邪神降臨のために7つの扉を開ける、カルデアの選出メンバーが7人なのも、全部黙示録。

法と宗教と迷信がまだ分離できてない近代以前の植民地時代のアメリカにとって、とくに敬虔なセイレムの地ではキリスト教の影響力ってやはり強かったのだ。アビーとセイレムが一体なので、そういう繊細な手順が必要だったのだろう。

カルデア一行が力押しに出ると、アビーが耐えられなくてセイレムが崩壊する可能性もあるし、ラウムはラウムで舞台を整えるに色々と苦労したはず。

ロールの5人

では、その舞台の役(ロール)としてカルデア一行の鯖はなぜあの5人なのか?

それはルールに縛られる者と縛られない者、処刑される者とされない者に分けられる。

前者はアビーと同じく生前の行いを悔いるもの。

死刑執行者のサンソン。自ら信心深く、死刑反対を訴えるも叶わず、マリーやルイ16世紀を処刑した。

スパイのマタ・ハリ。マタ・ハリのせいにすることで丸く収められるという近代の魔女狩りのような形で処刑された。

セイラムの地で処刑されることによって、舞台から降りる。死ぬことで、その束縛から降りる。

後者は異端のもの、外側にいる人たち。

アウトロー(法の外)の代表格たるロビンフット。本人が言うように、複数の人がベースで役者みたいなものなので一歩引いて考えることができる。

ナタは原初的な存在として、そもそも人間の法には縛られない存在。

生後3日で竜の背筋引っこ抜いて腰紐にした。あまりの暴虐っぷりを恐れた父が幼いうちに殺そうとするが自殺。そのあと釈迦如来を頼って復活する。魂魄が清ければ、復活できるというのを身をもって体験してるので魔神に取り憑かれたアビーを倒してもアビーは死なないことを証明する。

イレギュラーなのはキルケー。キルケーは半神半人にして生粋の魔女で、魔神柱の作ったルールからもある程度抜けられる。工房化できるというのは自分で法を構築できるということ。

シバによって呼び出されたのはそれだけの能力があるから、シバの女王の保険として役割を与えられてる。そして実際にちゃんと役割は果たす。なので基本的にはルール外の人。

しかし、メディアがやってくるお芝居は唯一冒険に出ない話。オデュッセイアの物語でも主人公一行をハメたり見送ったりする側でアイアイエー島から出ることはない。

分をちゃんとわきまえてて、自らルールを定めて律儀に守ってる。だから愛するオデュッセウスにはついていかなかった。オデュッセウスには祖国に本命の奥さんペーネロペーがいるからだ。

それが彼女らしいところである。姪のメディアはイアソンと旅に出て、散々な目にあったけどそれでも羨ましかった。

だから、本当の願いは「連れていって」。アビーと同じく、願望とアイデンティティーが矛盾するから、本来なら出てこない人。叶わないから素直じゃないのか、素直じゃないから叶わないのか。いずれにしてもかわいい。

当の大魔女たるキルケーが魔女狩りが主題で陰鬱なセイラムなのに、わりと楽しそうにしてるのは念願の冒険に出てるからだ。遠足に行く小学生みたいなものだ。イレギュラーな召喚だから長くは続かないことも分かりつつね。ふふ。

できる範囲の冒険

セイレムはアビーが主軸の話ではある。もうひとつの主人公はサンソンで、彼の贖罪を肯定的に描いていた。

ホプキンスはあくまで忠実に役割を全うして死んでいった。生前の行ってきた死刑執行に対して常に反発する気持ちがあった。これがセイレムを通して、サンソンは役割を受け入れて、死ぬ。死刑執行人という役から開放されたわけではない。役を全うしつつ、できることもあると肯定的に認められるようになった。自分をね。

最初に郷土料理のガレットを作ってた保守的な堅物が、最後には冒険してクロック・マダムに挑戦し、ジョークまで言えるようになった。記憶は失ったけど、経験は確実に残っている。

誰もが枠から抜けられるわけではないけど、ちょっとだけ冒険してみることはできる。

 

以下はFGO 2部5章 アトランティスのネタバレ感想・考察

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