まず、予告で美しいアニメーションと音楽に惹かれた。
今年はアニメ映画は豊作揃いで、『この世界の片隅に』と並ぶ傑作だと思う。今年と言うくくりすらいらないかもしれない。多くの人に観てもらいたい。
2020年2月現在アマゾンプライムビデオで無料で視聴可能。
あらすじ
母からたくさん歌やお話を聞いて育った兄ベンは、妹シアーシャの誕生を機に海へ姿を消した母を妹のせいだと思っていじわるをしてしまう。言葉の話せないシアーシャ6歳の誕生日に光に導かれるまま妖精のコートを見つけ、海へ入っていく。母のようにどこか消えて行ってしまうと思った父はコートを海に捨て、兄妹二人は嫌々おばあさんのいる都会に引っ越すことになった。
ハロウィンの日、我が家に帰りたくて飛び出した兄妹は妖精と出会い、母から聞いた伝承と忘れ形見の貝笛を頼りに兄妹の冒険が始まる。
感想
この作品の舞台はアイルランドで、話の元となるのはアイルランドの神話だ。基本的に文字を持たず神話は口頭伝承であった。そして多神教で自然崇拝をしていた。
ハロウィンは元々アイルランド(ケルト)の風習である。10月31日は、一年の終わりと始まりの境界、夏の終わりと冬の始まりの境界なのだ。霊界と現世の境界があいまいになると信じられていて、先祖の霊とともに悪い妖精や魔女がやってくるのでかがり火を焚いたり仮面をかぶったりして魔除けをしていた。
本作の主題歌は劇中でもたびたび流れ、話の中核となる美しい歌である。劇中ではゲール語(アイルランド語)で歌われている。英語の歌詞だと
Between the here, between the now.
Between the north, between the south.
Between the west, between the east.
Between the time, between the place.
このあともbetweenがよく出てくる。これは日本語なら二点の「間」(あいだ)を意味する言葉である。
まさに霊界と現世の境界があいまいになる日の間の話で、シアーシャも人間とセルキーの間の子なのである。シアーシャの歌は分断された感情と本体の間をつなぐような役目を果たす。
アイルランド・ゲール語でシアーシャ(Saoirse)は「自由」を意味する。境界に縛られる存在ではないことが示唆される。
一方で犬のクーをつなぐ紐で物理的に兄妹はつながってましたが、心で繋がってません。最後には兄はいままでのいじわるを反省し、絆で結ばる。
もっと神話と生活が近かった頃の思い起させるし、今のような断絶の時代にこそ心の打つテーマではないか。
監督は息子と海岸へスケッチ行ったら、大量にアザラシの死骸が打ち上げられていて驚いたそうだ。漁の邪魔になるアザラシは殺される。アイルランドでは精霊として大事にされてきた存在であったのに。そこからこの映画を着想した。
置き土産のように忘れていった土着の神話や風習を美しい映画の中に蘇らせた。
ただ、母ブロナーが優しく歌うように物語は紡がれていく。そこがとても良かった。