- 激戦の映画ではなく撤退戦映画。陸1週間、海1日、空1時間と時間軸がズレる
- 予備知識を入れておくとすんなり映像体験を楽しめる
映画の状況説明が最小限で没入感の高い作品である一方、ダンケルクの特殊な状況やドライな作風に戸惑うと思う。事前の知識があれば、作品を円滑に理解できてすんなり没入できるはずだ。
まず、ダンケルクの戦いは総力戦でも泥臭い戦いでもない。ドイツ軍が本格的に攻め込んではこない。そして、それはなぜなのか?
ダンケルクの撤退以前
ことの発端を話すと長くなるのでかいつまんで。
1939年の9月1日 ポーランド侵攻を発端に第二次世界大戦に突入。英仏はポーランドに相互援助条約があるためにドイツに対して宣戦布告するが、ポーランドに軍事支援はせずに静観。
英仏は宥和路線であったのとドイツはポーランド戦の勝利をエサに講和に引きずり込むつもりだったのと、戦争に備えて軍備の拡張を行っており、開戦したものの交戦せずに膠着した状態が続く。
1940年4月9日
ドイツ、対英仏海路の確保のため中立国であるデンマーク・ノルウェー侵攻。イギリス、ノルウェーに派遣するものちに撤退。ただしドイツ海軍は痛手を負う。
→ドイツの艦艇はダンケルクに派遣できなくなった
5月10日 西方電撃戦
イギリス、ノルウェーでの敗戦の引責で宥和路線のチェンバレン首相が辞職。代わりに徹底抗戦派のチャーチルが首相の後任に決定。ドイツ、オランダ・ベルギーに侵攻。同時にフランスへの侵攻作戦も開始。
ドイツ国境との隣接部にマジノ線と呼ばれる要塞群を準備しており、ベルギーの西部国境沿いに連合軍を展開することで盤石の備えと思われたが…
戦車での突破不可能と思っていた天然の要衝であるアルデンヌの森周辺は守りが手薄だった。ABCと軍隊を分割し、A軍の機甲部隊(戦車+自動車でとにかく機動力がある)で森を強行突破する作戦に出た。
歩兵戦を想定していた連合軍は、機甲部隊の機動力の高さに混乱に陥り、A隊は次々に拠点の突破。戦線が伸びきって反撃受けることを恐れた軍部上層は停止命令を出す。
しかし、現場の指揮官であるグデリアンやロンメルは電撃戦は心理戦であり早さが勝負なことを心得ており、命令を無視して突進を続けていた。そして、英仏海峡まで到達する。
16日 背後に迫るA軍を知った、連合軍はパリへの退却を目指すが、A軍に阻まれ英仏海峡方面に後退する。
5月21日-24日 アラスの戦い
英仏軍はロンメルの部隊に横槍を刺す形で反撃に出る。最初こそ優勢だったものロンメルの機転で逆転。英仏での連携不足で攻撃タイミングがズレたり、ドイツ航空支援を前に撤退を余儀なくされた。
奇しくもこの戦いでの勝敗がダンケルクの戦いの明暗を逆に分けた。
この戦いで敗走したためイギリス側は撤退を決定。
ドイツ側は軍上層部が恐れていた伸びすぎた戦線での反撃であった。今後も反撃が続くと予想を立てて消極的になり、24時間の攻撃停止命令がくだる。このすきにダンケルクの防衛強化と撤退準備が進み、結果的に撤退作戦の成功への一歩となるのだった…
5月24日-26日 独攻撃停止命令により戦闘停止。ドイツ、圧倒的優位な状況にもかかわらず二の足を踏んでしまった。
ドイツの停戦理由
その後のフランス侵攻や背後にいるソ連戦のための温存という理由もあった。戦車部隊の大半をA軍に使ってるので、これをむやみにつっこませて壊滅させられると後の作戦が展開できない。アラスの戦いで消極的な軍上層部と現場の指揮官であるグデリアンやラインハルトは突撃を支持して対立。仲裁としてヒトラーが攻撃停止命令を出す。
抗戦には貴重な機甲部隊を使うより歩兵と砲兵が向くのと、航空爆撃後に侵攻というセオリーどおりの展開にすることになった。
他の理由は空軍大臣のゲーリングが空爆でいけると推したり、あるいは今後の和平交渉のためにやりすぎなかったとも言われる。
ダイナモ作戦
5月26日 ダンケルクからの撤退を目指すダイナモ作戦の開始
5月29日 ダンケルクからの撤退の開始。映画はここの話
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実際の写真
空爆以外でのドイツの攻撃が激しくない理由
- 天候不順により霧が出て攻撃しにくかった。
- 砂浜に爆弾が飲まれて思ったより爆撃の効果がでなかった。
- 普段荒れ気味のドーバー海峡が穏やかで予想以上に撤退が速かった。
- スピットファイアなどの英新鋭機の投入で航空戦で想像以上に苦戦。
6月3日 イギリス軍撤退完了
6月4日 ダンケルクの陥落
ダンケルク撤退の余波
チャーチルの政治家生命の存続
就任直後の作戦を成功させ、ドイツ側の和平交渉を拒絶して徹底抗戦の路線を継続できた。
ダンケルクの撤退成功に湧いた国民と国家一丸となって立ち向かうことになる。後のバトル・オブ・ブリテンの航空機の民間修理委託などが始まる。
もしダンケルクからの撤退を失敗だったのなら、国会も選挙も機能していたイギリスでは世論が傾いて降伏することもありえた。
イギリスの装備品の不足
ほとんどの装備を捨てて撤退したため、深刻な装備不足に。3年は上陸できずになった。国内が軍需産業に傾きすぎて、戦後のイギリス国力低下に繋がった。
イギリスの人員の温存
のちの北アフリカ戦線やノルマンディー上陸作戦まで人員を温存することができた。
フランスの敗走とドイツの勝利
世界情勢に大きく影響した。イギリスが撤退した以上、フランスは抗戦する余力もなくあっさり降伏。ヨーロッパで唯一ナチスドイツに抵抗したのがイギリスのみとなった。
フランスもドイツもイタリアもその他多くの国も、ヨーロッパ大陸から撤退したイギリスが降伏するものだと思っていた。日本もこのあとドイツが勝つと踏んで日独伊同盟を結んだ理由の一つであった。
ダンケルク撤退その後
40年6月10日 イギリスの撤収後にはドイツに抗うだけの余力がないフランス政府のパリ放棄。漁夫の利を得ようとイタリアの参戦が決定。
6月21日フランス降伏。ドイツと休戦協定を結ぶ。
8月10日-10月31日 バトル・オブ・ブリテン。英仏海峡イギリス本土での英独航空戦。イギリスは防空予算は惜しげもなく使い当時最高の防空体制を整えてた。主力はスピットファイア。
独空軍は大陸運用を想定して飛行距離が短いのと、レーダーが貧弱なのもあって返り討ちにあう。ドイツはイギリス上陸作戦は諦めて、独ソ戦のほうに傾く。
9月27日 日独伊三国同盟
11月 米ルーズベルトが大統領三期目。多額の戦債を出していたイギリスが負けると困ることと、いよいよナチスドイツの脅威が迫り参戦へ動き出す。
41年3月 米、武器貸与法成立し英・中国・ソ連へ明確に支援に乗り出す。事実上の参戦
41年12月8日 真珠湾攻撃 日米開戦。独・伊も対米宣戦布告し、米の本格的な参戦が始まる。
41年6月独ソ戦勃発。
42年8月 スターリングラード攻防戦
43年9月 イタリアの停戦と降伏
44年6月6日 ノルマンディー上陸作戦。ダンケルク撤退からちょうど4年後に西部戦線の復帰。
44年8月 パリ陥落。
45年5月8日 ドイツの無条件降伏でヨーロッパ戦争の終結
45年8月14日 日本の無条件降伏。6年に及ぶ第二次世界大戦は終結。死者は5000万人以上とされる
感想
映画の流れ
何が起こるかは分かっている神の目線を冒頭からの銃声で一兵士での目線まで強制的にひきずり落とす。否応なしに主観の視点にひきづりこむのは映画というより主観視点のゲームのようだ。
血の通ってないような海岸線。流れ着くのは空虚な泡だけ。兵士の心境そのものを語るようだ。そんな砂浜で爆撃機スツーカの風切り音「悪魔のサイレン」の恐怖を身をもって体験することになる。
イギリスの港では民間船で自発的にダンケルクに向かったドーソンのような人もいた。元海軍を思わせるヨットの青い旗、機銃掃射の回避、空軍での息子の死亡。タイタニックの生き残り元海軍中佐チャールズ・ライトラーが元ネタの模様である。
爆撃や機銃掃射されている味方船艇を守りにいくときの躊躇、予備燃料タンクに切り替えたときにもはや帰れないことは悟り、接収されないように自機を燃やし、なんとも言えぬ表情を浮かべる顔。ほぼ目だけでこれらを表現したファリア扮するトム・ハーディの名演が光る。
航空機のシーンは燃料メーターが壊れてメモしたり、着陸に脚を下ろすに手動で動かして出す部分、実機を使った撮影、アナログの持つ感覚の良さが伝わる。滑空から着陸し、機体を燃やすまでの一連のシーンの美しさは何度もみたくなるような名シーンであった。
チャーチルの力強い演説に撤退成功に浮かれる国民。一方生きた心地のしない当事者たち。無意味に死んだ若者ジョージは本人の希望通り歴史に名は刻んだが、友人親子は複雑な表情を残す。歴史のなかの雄弁で大きな波とは対極にある、静かで複雑な表情の個人が物語る。
没入感と抽象さの混じり合いによる違和感
戦争に放り込まれる体験、タイムリミットサスペンスとして映画体験をさせたかったら、トミーが主人公でダンケルクから撤退する側のみ描けばいい。
しかし、ダンケルクの撤退が成功するのは奇跡的に条件が揃ったものであり、民間船の協力と航空支援が欠かせなかった。だから3つの視点で描かれて、最後に一点で交わり最高潮に達する仕組みになっている。
個人の体験の没入感と複数視点による群像劇は必ずしも相反はしないが、三点でそれぞれ温度差が異なり完全に没入させるようにはなっていない。
救出される側のパニックぶりや緊迫感に比べると、ドーソンもファリアもなるべく感情を表に出さないようにしているため、シーンによって感じるテンションが違う。
トミーという名前がイギリス兵全般を指す名前だったり、実際には航空機177機損壊していてもっと飛ばしてるが(ただしローテンションで飛ばすはず)英航空機は3機のみ描かれれるだけで、民間船も最後以外はドーソンの船のみで描かれる。しかし、個人のストーリーは最小限にしか語られない。
バイオレンスな描写が一切なくて、悲惨さを強調させるようなこともない。これらもこの映画の抽象さに拍車をかける。
そう、個人の目線で語るようで、じつは全体抽象化された戦争の描き方になっている。落語のように想起させやすいような工夫ということもなく、断片的なものが入り混じってわからないものを漠然としたまま飲み込ませようとする。
こういう描き方の戦争映画というのはないのでこれを素直に消化できずに戸惑った。ドーバー海峡のど真ん中でほっぽりだされた気分になるのだ。
帰路について文章にまとめるうちに思った。ダンケルクやキスカ※のように撤退できずに悲惨な状況に陥った戦いのほうがはるかに多い。
※米軍に包囲されたにも関わらず、日本軍守備隊がほぼ無傷で撤退した作戦の島の名前
歴史の大波では一つの転換点になったダンケルクの撤退。帰れたもの、捕虜になったものもいる当事者たちの喜べもせず、ひたすらに落胆させてくれもせずの晴れない気持ちについて思いを馳せる。
歴史の大きさに飲まれず、個々人の体験に寄りすぎず、その中間点を繋ぎ、残滓のようなものを味わう映画だったのかもしれない。