映画

『判決、ふたつの希望』対立で見えなくなるもの

今年一番の映画と言っていい。舞台であるレバノンの歴史背景は複雑だが、映画は実にシンプルである。

キリスト教徒のレバノン人トニーと、パレスチナ人ヤーセルとのささいな口論から、裁判沙汰になり、やがて国を巻き込む大論争になる。トニーはただ謝罪がほしいだけというが…裁判の行方はいかに…

社会派ドラマでありながら抑制が効いていて、鼻につくような政治的な意図や説教臭さはない。生活感があり、そこに暮らしている人々としての息遣いが感じられる撮り方に好感が持てる。法廷劇エンタメとしても面白く、結論も安易さがなく素晴らしい。

映画ではレバノンの民族や宗教の対立以上の根深さが含まれるが、テーマとしてはすごく普遍的である。ささいなことだったのにあとに引けなかったり、外野がやたらと騒ぎ立てたり…

また、何かの論点について対立しているとイデオロギーにとらわれて、まず「個人」であるということを忘れてしまう。

たとえば何かで炎上したときに単純な二項対立に陥り、個人の抱える背景を無視して、悪い点や極端に過激な点ばかりあげつらったりしてないだろうか?

自分に耳聞こえのいいことばかり集め、反証可能性を無視し、対立する人のことをよく見ていないからますます対立が深まるばかりだ。和解しなくたっていい。侮辱や恩讐の彼方に何か希望は見いだせないだろうか…

歴史背景

ストーリーは単純なので歴史背景を知らなくても観れる映画だが、あらかじめ背景を知っておくことでより理解しやすく鑑賞できるだろう。

レバノンは中東イスラエルの北側にある岐阜県ぐらいの大きさの国である。西は地中海、東はシリア、南東にヨルダンがある。レバノン山脈を有する山岳地帯で宗教マイノリティにとっては都合のいい土地柄であるかもしれない。

イスラム教徒が60% シーア派(アリーの子孫のみが指導者であるとする)27%、スンニ派(コーランや慣行重視)が27%、ドゥルーズ派(シーア派の分派だが輪廻転生があり大きく異なる)が5.6%
キリスト教徒が32% マロン派が多数でギリシャ正教とギリシャカトリック
(2017 CIA調べ)

中東では珍しくキリスト教徒の多い国である。

独立

オスマン帝国が第一次世界大戦で敗北し、フランスの委任統治下となった。レバノンはキリスト教徒保護を名目にシリアから分割された。41年にナチスドイツによってフランス本土が占領されると、レバノンは独立、ドイツ軍侵攻に備えるためイギリスにすぐさま承認された。

第二次世界大戦後は金融と観光業によってめざましく発展して、首都ベイルートは中東のパリと呼ばれるほど華やかな都市となった。

圧倒多数派となる宗派がなく均衡が取れているため、大統領はキリスト教徒、首相はスンニ派、国会議長はシーア派から選ばれる宗派社会となっている。住むところや学校、軍隊までも宗派によって住み分けしていた。

レバノン内戦

南方ではユダヤ人によってイスラエルが建国され、元々住んでいたパレスチナ人は隣国ヨルダンに逃れ、反イスラエル勢力PLO(パレスチナ解放機構)の拠点になっていた。

穏健なヨルダン政府とPLO内部の過激派(PFLP)とで対立が激化し、PFLPのハイジャック事件を機に起こったヨルダン内戦の末、ヨルダンからPLOを追放した。これが黒い9月事件。

撤退したPLOはレバノンの首都ベイルートに拠点を移す。このPLOの流入が均衡の取れていたレバノンの政治情勢が一変することになる。

パレスチナ難民とはいえレバノン国軍以上の武力を持っていたため脅威であった。政府は国内での武力衝突を避けるためにPLOのイスラエル攻撃容認と自治の特権を与え、PLOはレバノン南部にファタハランドという支配地域を確立する。この一連の流れはイスラエルにとって敵対行動でしかなかった。イスラエルはレバノン南部とベイルートに対して攻撃を開始。アメリカをバックにつけたイスラエルをまえに立場上反撃できなかった。これにはイスラム教徒たちの反感を買うことに。

これを機にキリスト教徒マロン派とイスラム教徒・PLOの対立が激化。互いに民兵組織を強化していく。

1975年にファランへ党(極右政党)の集会をしていた教会に向けて、PLO支持者が発砲。そのまま銃撃戦となり、内戦へと発展。同時期にスンニ派とマロン派で漁業権を巡って争いも火種となった。

宗派別で運用してたため国軍が機能しなかった。そこで政府はイスラエルとの軍事衝突を避けたい思惑もあるシリアに要請。シリア軍は急進的なPLOやドゥルーズ派を制圧。PLO、イスラム左派、アラブ社会からは反発が強まった。マロン派内でもファランへ党内から反シリア・パレスチナを掲げる軍事組織レバノン軍団(LF)を結成。

LFとシリア軍とで衝突するが、劣勢なLFはイスラエルの支援を要請。これを受け、シリアやアラブ勢力を排除して親イスラエル政権をレバノンに樹立させたいイスラエルも参戦。

イスラエルがPLOの主力部隊を追放。LFのカリスマ的リーダー、バシール・ジュマイエルを大統領に当選させるが、すぐに爆殺されてしまった。(映画冒頭で党大会で称賛される人物と劇中で流れる演説がバシール・ジュマイエル)この暗殺はPLO残党の犯行とみなした。
報復としてLFのホベイカ率いる部隊がパレスチナ難民を虐殺するサブラー・シャティーラ事件が起こる。黙視したとされるイスラエルのシャロン国防相が辞任した。(劇中の「シャロンに殺されていればな」はこの事件のこと)

アメリカ、イギリス、フランス、イタリアからなる多国籍軍がパレスチナ難民の保護を理由に参戦。

シーア派は親シリアの世俗路線のアマル、反欧米・イスラエルの殲滅を掲げる過激派ヒズボラに二分された。ヒズボラはシーア派が多数を占めるイランの支援を受け、誘拐や爆破テロを外国人に展開。収集がつかなくなり多国籍軍は撤退することに。

無政府状態をいいことに麻薬栽培が始まり、しだいに民兵組織が幅を利かせるようになって、宗派対立から利権争いに発展していく。

反シリアで中央集権化を目指すアウン将軍が台頭。アウン派政府軍はイラクの支援を受け、シリアは湾岸戦争の出兵の見返りにアメリカから支援を受けて、両者が激突。シリアが勝利し、レバノンは実質的に支配下に置かれた。

シリアの支配は15年間続いたが、シリアの即時撤退を主張していたハリリ元首相が(シリア関与の疑いがある)爆破テロで死亡し、国内外で批判が起こってシリア軍は完全撤退することとなった。これが杉の革命」と呼ばれる。

映画にかかわる事件

1976年1月18日 カランティナの虐殺 キリスト教徒の民兵組織がカランティナ地区を制圧し、イスラム教徒とパレスチナ難民を虐殺。
1976年1月20日 ダムールの虐殺 カランティナの虐殺の報復としてパレスチナ民兵がダムール村の民間人を虐殺。
1976年8月12日 テルザアタルの虐殺 キリスト教徒がテルザアタルの難民キャンプに侵入し虐殺。

内戦中に幾度となく虐殺の応酬している。

まとめ

平和で豊かな国がパレスチナ難民が来たことによって無政府状態まで荒廃してしまった。しかし、それがパレスチナ難民のせいだと言えるだろうか。パレスチナ難民だって好きでレバノンに来たわけではない。国も尊厳も奪われ、生活の保証もない暮らしを強いられてきた。全員被害者なのだ。

ささいなきっかけで起きた小競り合いから、宗派の対立、そして宗派内ですら利権抗争、欧米・ソ連・サウジ・イラン・イラク・イスラエル・シリアが乗り込み代理戦争にまで発展してしまったレバノンの情勢。

この映画はそんな大きなイデオロギーに飲み込まれていく怖さ、レバノン内戦そのものを描いている。

これ以降はネタバレあり

映画の概略

ベイルートに住宅を買い、身重の妻シリーンと仲睦まじく暮らしていたキリスト教徒のレバノン人トニー。

住宅の補修作業の現場監督をしていたパレスチナ難民のヤーセルはトニーの家のベランダから流れてきた水を浴びる。違法建築のベランダでそのまま垂れ流しになっている状態で、確認しに行くがトニーに拒否されてしまう。ヤーセルは排水管を切って勝手に補修していたところをハンマーで壊すトニー。ヤーセルは仕事を台無しにされたことに腹を立てて罵ってしまう。

トニーはヤーセルに謝罪を要求するが、ヤーセルは拒否。トニーは露骨に反パレスチナの演説を流し「シャロンに殺されていればな」と侮辱する。怒りに我を忘れたヤーセルは殴ってしまう。

ここから裁判に発展する。ヤーセルは罪を認めはするが、証拠不十分で無罪に。納得いかないトニーは凄腕の弁護士を頼り控訴することに。ヤーセルにはその弁護士の娘が買って出る。

勝ちにこだわる弁護士と、謝罪にこだわるトニーで次第に意識のズレを感じていく。

過去のトラウマが蘇り、倒れてしまうトニー。妻も早産してしまい子は人工呼吸器なしでは生きられない状態に。それでも謝罪にこだわるトニーに家庭は険悪なムードになってしまう。

裁判はさらにヒートアップし、暴動が起き大統領をも動かす事態に。裁判ではトニーの過去に焦点が当てられ、ダムールの虐殺から命からがら逃げてきたトラウマが明かされる。

裁判の帰り道、エンジンのかからないヤーセルの車。それを見かねて戻ってきて直すトニー。珍しく表情の和らぐヤーセル。

ある晩、トニーのガレージにヤーセルが訪ねてきた。わざとひどいことを言って、殴られるヤーセル。そして「謝るよ」と一言残す。

そして、あまどいを見るときっちり修理されていた。避けていたダムールに帰郷するトニー。子供時代の豊かな暮らしをした家、父子で逃げた線路を歩く。

そして、いよいよ判決が下る。裁判の結果は一審と変わらず「無罪」であった。トニーにとってはもう裁判の結果はどうでもよさそうな、どこか安堵した表情であった。

裁判の帰り、トニーとヤーセルは握手も礼もしないが、目配せはする。お互い相容れないながらも認め合うかのように。

感想

映画にはレバノンの複雑な情勢が絡む。レバノン内戦は周辺国の代理戦争のようになってしまった。映画の裁判がイデオロギーの代理戦争になってしまったことと重なる。

対立が起きるとお互いが見えなくなってしまう。これはレバノンとは関係なく、普通に起こりうることだ。まず真面目に働く個人なのである。そこにイデオロギーも宗派も関係ない。

ふだんは寡黙で穏やかだが、正義感が強く不正を許せない性格のヤーセル。過激で口が悪いが、周りからの信頼は厚いトニー。一見対照的ではあるが、お互い頑固で仕事に熱心なのだ。

物語の転換点となった、トニーが見かねてヤーセルの車のエンジンを直すシーンが印象的であった。職業人としての誇りを感じられる。ささいな手助けがいい循環を生むのは実体験としてよく分かる。

最初は過激なトニーにはいい印象は抱かなかった。しかし、事情が明らかになるにつれ、徐々に表情が和らいでくるにつれ、なんだかどうでもよくなってくる。

ヤーセルはわざとトニーを侮辱して殴らせられることで謝ることができた。不器用な男の不器用な謝罪であった。不完全でもきちんと向き合えた。

和解や理解できないことはたくさんある。レバノンの情勢を調べるうちに価値観の違う者同士で共存することの難しさをひしひしと感じる。それでも、どこかで尊重しあえるはずだという、静かな意志もこの映画から感じたのであった。