ゲーム

超個人的なゲーム史

ツイッターでというハッシュタグが流れてきた。とても収まるもんじゃないのでブログに書く。途中で力尽きたから、気が向いたら書き足します。

 


 

記憶上の面白かったと、体験上の面白いはぜんぜん違う。それと、その人にとって衝撃的というのは個々人で全然違う。やるタイミングや、やる順番が大いに関わってくる。

なので、ゲーム体験が純粋に客観的にゲームとして面白いかと言われると全然そうではない。そのゲームは別の誰かにはちっとも面白くないことがありうる。今やって面白くない・面白いのもありうる。映画でも本でもそうだけど、ゲームは主観的に介入できるぶん、その傾向は強いと思う。

だからこそ、そういう超個人的なゲーム体験の話は面白い。みんなそれぞれ全然違うことがあって新鮮だし、共通する、あるあるってところもある。

あなたの超個人的な体験もどこかに書き留めてくれると嬉しい。

一番最初に作ったゲーム

小さい頃からゲームを与えられていたわけではなかった。

小学校に入る前の段階の話だ。パーキンソン病でおぼつかないおじいちゃんに重たいワープロを出してもらった。

文字をたくさん並べて、カーソルを動かして文字を消化していくパックマンもどきで遊ぶためだ。これがたぶん初めてゲームを作って、遊んだ最初の記憶。ビデオゲームで遊ぶ前にゲームを作って遊んでいた。

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初めての主人公。ワープロのカーソル

ドラクエを遊びたい

小学生になると、流行ってたゲームはドラクエ。というのも、当時流行ってたアニメと漫画は『ダイの大冒険』だった。傘を逆手に持ってアバンストラッシュは定番。

マンガで好きだったのは『スライム冒険記』というドラクエ関連のギャグマンガだった。ドラクエはとにかくコンテンツが豊富なのだ。

でも、ゲームでドラクエを遊べなかった。

鉛筆をサイコロにして、シートにキャラクター描いてひとりTRPGみたいにして遊んだり、あとレゴを使って、ドラクエ風のRPGみたいに作って遊んだりしていた。ゲームがないなら作ればいいじゃないの精神だった。

小さい頃は真っ直ぐ線引いたり、丸描いたりが苦手なほど不器用だった。父の友達のMacでフォトショップを遊ばせてもらえる機会があった。そして、スライムが描けたときはすごく感動した。パソコンってすごいな。
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当時の絵を再現

母親がゲームに対して厳しかったのでなかなか買ってはもらえずにいた。いわく、それ以外のことをやらなくなって、長時間やりすぎるからだそうだ。今思うともっともだし正しかった。

子どもは邪なもので、友達の家に行って遊んだり、ゲーム機ごと借りたりして何とかしてゲームを遊んでいた。くにおくん、スト2、桃鉄、餓狼伝説、KoF、Gガンダムの格ゲーだとか。

母は働いてたのもあって、黙認という形で認められていた。でも、ゲームはコソコソやるもので今でもその後ろめたさは染みついている。

そんななか、ゲーム機ごと持ち出せるゲームボーイというのは救世主であった。公園でも、ベッドの中でもできる。

初代ポケモンが発売され、運良く借りることができた。バグ技でダグトリオにかみなりを覚えさせてた。よく分からないニセ情報まで流れて、それも楽しみの一つではあった。モンスターボールの揺れに合わせてAB押すと確率上がるとかなんとか…

あとは聖剣伝説、ゼルダの伝説、魔界塔士SAGAなどなど。※書ききれない

スーパーファミコンのゲーム

何がきっかけがよくわからないし、初めて買ってもらったゲームソフトも思い出せないけど、スーパーファミコンを買ってもらった。歳の近い兄と遊ぶことが多かったので、2Pも遊べるゲームが多かった。

テトリスバトル外伝

珍しく家族で楽しんだゲーム

スーパーボンバーマンシリーズ

タイトルロゴのバイ、ハドソン!は今でも鉄板ネタ

がんばれゴエモンシリーズ

芋虫みたいな匍匐、「ゴエモンいんぱくと」のなにそれ感

星のカービィスーパーデラックス

テレッテ、テレッテー デウ! デン!
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( ゚д゚)
ゲームで一番で遊んだ(セーブが消えるせい)

カービィボウル

ヨッシーアイランド

スーパーマリオRPG

クロノトリガー キャラクターはどれも個性的で、カエル好きだったなー。周回だと器用貧乏感漂うけどキャラに合っててよかった。これは語りだすとキリない。

ドラゴンクエスト6

念願の初めて遊んだドラクエ。これが憧れだったんだ。あとから3と5を遊んだけど(ゲーム的なまとまりの良さは3,5のが上)も、やっぱりこれが一番思い出深い。ムドー戦の緊迫感と言ったら…。はかなく暗めの話が多く、あれだけ強そうだったテリーさん、要らない子じゃ…とか後半みんなドラゴンで輝く息なっちゃうとか。これも語りだすとキリない。

スーパードンキーコング

奥行きのある3D表現と、デビット・ワイズ氏のアンビエントBGMに衝撃的だった。特に海ステージの『Aquatic Ambiance』は名曲だ。海辺に住んでたので海の底知れぬ怖さは知っていて、それを完璧に表現していた。ゲームとゲーム音楽の凄さに気づいた。

ゲーセンのゲーム

父はゲーセン好きで、ピンボールやるとうまくて30分ぐらい遊んでる人なので近場のセガのゲーセンにはよく行った。

バーチャロン

3次元のゲーム、カトキハジメのスタイリッシュなメカ、奥の深い対戦…
これも語るとキリがない。

ダイナマイト刑事

初代QTEにしてQTEの頂点。コショウや冷凍マグロまで武器になるのが好き。あと助けたくない感じのするヒロイン。CS版は潜水艦のミニゲームでクレジット稼ぐのが地味に好き。

クレイジータクシー

ヤーヤーヤーヤーヤー! Offspringにハマって音楽方面ではパンクがマイブームに。

セガサターン

バーチャロンが好きすぎて、セガサターンを買い、ツインスティック2台まで持ってた。周りでは全然流行らなくて、兄と二人でよく遊んでた。

ナイツ、デイトナUSA、ストZERO、X-MEN(マーヴルも) vs ストリートファイターなども。

ばくばくアニマル

祖父や祖母までも一緒に楽しんでた。これも稀有なゲーム。

テーマパーク

入口前に食べ物や置いて暴利とったり、労使交渉とかあったりで新鮮だった。

ロックマン8

初ロックマンで思い出深い。このあと、過去作やXシリーズを楽しむ。

中学時代

中学生に突入し、ゲームやりすぎてスーファミとセガは島流しの刑(母の実家に持っていかれた)にあう。ビデオゲームからカードゲーム、マジック・ザ・ギャザリングに傾倒しはじめる。

親父のミーハーさのおかげで早くからネット回線が引かれ、パソコンが導入された。ダイヤルアップの時期もあったけど、ISDNに切り替わるのも早かった。

初めて遊んだPCゲームは『Hover!だ。ホバークラフトしている乗り物で旗集めするゲーム。ちなみにここでリメイクが遊べる。

アクションでは『タイムコマンドー』だ。すごい操作性が悪くて、お世辞にも良い出来のゲームではなかったけどハマった。バグで進めなくて結局クリアできなかった。

そのほかにもマジック・ザ・ギャザリングのオンラインでシミュレートできる非公式のゲームでよく遊んでいた。それに関わったり、改造したり、ホームページも開いて交流したりしていた。

公道レースゲームの『ミッドタウンマッドネス』ではテクスチャ弄って遊んでいた。

当時に熱狂的に流行ってたFF7は微妙に時期逃してしまってスルー。なぜかエアリスが死ぬのだけは知ってた。

と言ってもプレイステーションのゲームは無縁ではなく、本体ごと借りたりして、キャビアバーガー最強伝説の『バーガーバーガー』『アストロノーカ』『アーマードコア』『クラッシュ・バンディクー』『ロックマンダッシュ』『メタリギアソリッド』などは遊んでいた。

あれだけハマった格ゲーは友人Sのハルクに、何度やっても指一本触れずにボロ負けして、完全に心折れて以来はほとんど触ってない。

友達の横で見ていることも多かった。『ポポロクロイス』『フロントミッション』『聖剣LOM』などはそうだ。ゲームアーカイブスでのちのち遊んだりしている。

ゲームボーイアドバンスは修学旅行中に借りてドはまりしたのは『タクティクスオウガ外伝』だった。ロックマンゼロシリーズ、MOTHER 1+2、黄金の太陽などもよく遊んだ。

ニンテンドー64もそれなりに遊んでて、『マリオ64』『007ゴールデンアイ』『ゼルダの伝説時のオカリナ』『ムジュラの仮面』『スターフォックス』『スマッシュブラザーズ』『カスタムロボ』など

高校時代

高校に入ると毎日部活漬けであんまりゲームはしなくなったものの、エイジオブエンパイアシリーズや『ライズ オブ ネイション』といったリアルタイムストラテジーにハマっていた。マップエディタで延々と弄り、付属してた読み物読んで歴史や神話が好きになった。

『Call of Duty』

映画的なシナリオに、没入感高い演出。当時はそんなゲームで遊んだことなかったので衝撃だった。ヘッドショットうまいと思ってけど、あれは異常に当てやすいだけと知ったのも後々。CoDは4までは遊んだ。

大学以降

バイトして自分で稼げるようになったら、ゲーム機を譲ってもらって旧作のゲームを買いあさって遊びまくった。『moon』『ICO』『キングダムハーツ』『ゼノギアス』はこの時代に遊んだものだ。

通学のときや空き時間で遊べるのでPSPは重宝した。

『モンハン2G』『ペルソナ3』『メタルギアソリッドポータブルオプス』『キングダムハーツバースバイスリープ』『カルネージハート』など

ドラクエのRPG観を打ち砕いたオブリビオン

とても思い入れの強いドラクエ(FFも)がのちの日本のRPG方向性を決めて、JRPGという一大ジャンルになったと同時にRPGはこうでなくてはって意識があった。それを見事に打ち砕いたのはTES 4オブリビオンだった。

elonaという非常に自由度の高いローグライクなPCのフリーゲームにハマっていた。どうせならほかにPCでできる自由度の高いゲームはないかと探していた。

同時期に遊んでいた『ジルオール』はシナリオの自由度が高いゲームだった。ただし、突き詰めるとフラグ管理ゲームになってしまい、そこに窮屈さを感じていた。

広いマップで気ままに過ごしていたい…

そして調べてみると、アサシンクリードかTES4 オブリビオンが候補に上がった。悩んだ末、「弄れば何でもできる」に惹かれてオブリビオンを選んだ。

なにもかも新鮮だった。

ストッキングを顔にはいたようなとても美形とは言えないエルフたち、頭おかしい神々、誇り高きオーク女騎士、かわいいトカゲに、鍛冶屋のおばさん。フォロミー! バイアズーラ! シャドウハイチュウ

そこには情報の不完全性がきっちり盛り込んであって、宗派、所属ギルド、立場によって全然世界の見方が違う。プレイヤーも同じく与えられる情報が不完全で、いかにもわかったような神目線にしようとさせない。もっとその世界の住人まで目線を落とし込む。

帝国へのポケットガイドが見ても、ある種のゲーム設定集なのに、これ自体プロパガンダで、ひどく偏見にまみれている。これぞリアルだ。

バグはひどいし、ゲームシステムも未熟な部分が多い。それでも楽しかった。modを入れて自分好みの世界に拡張する面白さも知った。

興味が出て前作TES 3 モロウィンドにも手を出し、さらに遊びにくくて手こずっている途中にTES 5 スカイリムが発売された。

作る楽しみ

スカイリムのほうでは作る楽しさを知った。最初はヘッドメッシュの頬こけが気になって自分用に直してただけだった。自分で作ったり弄ったものがゲーム画面に表示されるってことがとても楽しかった。

需要がありそうなので配布してみたら反響があって嬉しかった。作ったものをシェアして喜んでもらえる楽しみを知った。

気づいたらあれよあれよと気になるところを直す作業がはじまり、テクスチャ作っては出してボロクソ言われたりもした。アイディアがあれば、詳しそうな人に聞きに言って実装できるように技術を身につけ、試行錯誤の連続だった。

おかげさまでmod制作は長く続けられる趣味となったのだ。大変なことも多いけど、楽しくやっている。

その後はPCゲームどっぷりでSteamで徳(ゲーム)を積んでる日々です。Bioshock、Diablo 3、テラリア、Magicka、ドラゴンエイジなど。今は1000円~2000円ぐらいのインディーゲームが楽しい。

まだ全然書ききれてないし、これからも書き足していくでしょう。みなさんもどこかに書いてくださると嬉しいです。そしてそれを教えてくださいね。

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