映画『パターソン』は何気ない日常にしみじみしたよさを感じる名作だ。
主人公のパターソンは公営バスの運転手で、一見したらつまらなそうな物静かな男であるが、毎日詩を書き留めることが趣味にしている。そんなパターソンの1週間を描いている。
バスジャックが起こるわけでも激しいアクションがあるわけでもない。しかし、毎日同じようで違う。何もない日もあれば、ちょっとした事件もある。
舞台はニュージャージー州のパターソン。ニューヨーク州のすぐ隣である。早くから工業化が進んで移民が多く住んでいる。しかし、工場の海外移転や郊外のショッピングモールで空洞化の進んだ貧しく寂れた街だ。
バス運転手のパターソンも金銭面では豊かとはいえない。しかし、愛する妻がいて、愛犬がいて、散歩途中の行きつけのバーでの一杯、あとは詩とマッチと滝があれば充実した生活なのだ。
エンタメ度は低いので人を選ぶ作品だが、この静寂で温かい作風は類似の作品が思いつかない。気取った感じも、説教臭くも、内省的でも、排他的でもない。
創作する人や淡々とした日常が好きな人にはきっとお気に入りの映画になるはずだ。
2020年5月現在、プライムビデオで無料なのでぜひ観てほしい。
日常の芸術
作中に出てくるウィリアム・C・ウィリアムズはパターソン出身で医者をしながら、詩を書いていた。「冷蔵庫にあったすももをこっそり食べた」という題材ですら豊かに情景を描き詩になりうることを証明してみせた。現代詩に多大な功績を残した彼のあとを追うかのように、パターソンという街から多数の詩人を輩出したし、憧れて来る人もいるだろう。
コインランドリーでリリックを試行錯誤するラッパーの兄ちゃん、帰り道で会った詩を書く少女、そしてパターソンと受け継がれている。日常のなかに何でも芸術は転がっている。
もう日常のなかに芸術を謳歌するするのがパターソンの妻ラウラだ。控えめなパターソンと対照的に奔放で夢見がちで、独特な美的センスで部屋を飾りたてたり、突発的にギターを欲しがったり、創作でマズいパイを作ったりする。
パターソンは文句を言わないし、バーのマスターや同僚に愚痴ったりするわけでもない。ラウラもまた、パターソンの詩作を否定したり邪魔したりしない。
飾られた写真から退役軍人であることが分かるパターソンと、おそらくイラク出身であるラウラが、移民の多い街で同じ軒下で自由に創作し謳歌している。お互いに愛も尊重がある。イラク戦争で、もしかしたら刺し違えていたかもしれない。単に仲睦まじい暮らし以上の尊さを感じられる。
内と外の世界
パターソンは内向的なタイプだが、完全に内向きに閉じた男でもない。日常での外との繋がりが彼の豊かな内面を作る。
自分の外側にある、独創的な妻、グラスの氷、滝の風景、なんてことはない日常会話、そういう中から詩が生まれるし、豊かさが生まれる。
やたら目についてしまう双子、愚痴っぽいインド人の同僚、バス乗客の会話、たくさん目玉の描かれたみかん、子どもスマートフォンの絵面、犬と傾くポスト、恋人同士のケンカ、バーのマスターとの会話、ちょっとした贅沢としての映画館デートとゲイカップルそれぞれの場面が愛おしい。
まさしくウィリアムズの「日常ありふれたことやなんでも」詩の題材にできることを体現している。内面に閉じすぎて現実との繋がりを断ってしまうことはない。むしろ傍から見たらいっけんつまらなそうな日常にこそ、たくさんの面白さが詰まっているのかもしれない。
移民の町で違う人種や考えに慣れたパターソンが、詩という手段をもって、ゆるく繋がっている。詩に限らずに、散文でも絵でも音楽でもゲームでも表現方法はなんでもいい。現代社会が抱える多様性受容と排他性の問題に温かさを与えてくれるようだ。
メッセージ性が強くなく、作品全体を通してぼんやりとつつまれる感じも、日常の豊かさを感じられて粋だ。あとから振り返ってしみじみといい映画だなと感じさせられる作品になっている。
淡々とした描写の中から感じとって書かれる感想も多様で豊かなものだと思う。ぜひあなたの言葉で綴ってほしい。